S.L.診断表の効用

認知的不協和

私たちが抱える問題は < 期待(理想→望ましい姿) > と < 現実(の姿) > との間のギャップ(食い違い)である、と考えることができます。この食い違いが大きければ大きいほど、問題が大きく感じられ、 < 問題意識 > が深刻になるといえます。このような期待(理想)と現実の食違い(差)は、心理的不協和を生みだしますが、こうした認識上の不協和を < 認知的不協和 ( Cognitive Dissonance ) > と呼びます。

認知的不協和は、心理的不安定さを生みだします。すると、そうした不安定感を取り除き、心理的安定を回復しようとする無意識の衝動が起こります。つまり、不安感を解消して安定を回復しようとする < 方向性 > と、そうした回復に努力しようとする < 動機 > とが生まれるわけです。この心理的安定を目指すエネルギーが、望ましい姿(理想)に近づこうとする < 学習目標(方向) > と < 学習動機 > をもたらします。

他方、人間には < 自分自身を実際以上に望ましい姿に受けとめたい > と望む気持ちが多かれ少なかれ備わっていますが、フィードバック表は < 他人の目に映った自分 > をそのまま映し出し、否応なしに心の中の < 美化された自分 > と < 現実の自分 > とを対比させます。その結果、 < 自己イメージ > について認知的不協和が生まれます。

この認知的不協和は自分に < 自分自身の問題 > を気づかせ、 < その問題の解決の方向へ自分を動機づける > ことになります。つまり、フィードバック表を適切に活用することによって、自発的学習の動機を強め、かつ、方向を定めることができますが、こうした自発的学習意欲の触発を通じて、教育研修や指導を大きく促進することがができるわけです。

いいかえれば、フィードバック表は < 学習への動機づけと方向づけを狙って認知的不協和を人為的、計画的に作り出すための用具(インスツルメント) > なのです。しかし、フィードバックがもたらす効果には、意図しなかった副作用も含まれます。取扱に十分な注意が必要なばかりか、使用するフィードバック表の選定にも周到な注意が必要です。

 
研修技法としてのフィードバック表

フィードバック表を使わなくとも、周囲の人からのフィードバックを得ることはできます。たとえば、小グループの中で、相互に口頭のフィードバックを与え合うことも可能です。いわゆる、センシティビティ・トレーニングやラボラトリー・トレーニング、エンカウンター・グループ、 T ・グループなどは、そうした小グループ内におけるお互いの直接的なフィードバックを主要な研修技法とした研修活動です。

このような教育研修活動における仲間からの、直接的で生々しいフィードバックは、これが不適切に行われると、 < 吊し上げ > に似た効果を生みだし、参加者に耐え難く強烈な精神的ショック(精神的外傷)を与えてしまうので、専門的な研修を受けたファシリテータ(活動推進を担当する介添役)の監督と適切で適時な介入がないと、参加者に精神障害を及ぼしたり、参加者同士の争いや傷害事故など、重大な問題を起こすことがある、といわれています。

このような深刻な問題を回避するための工夫として生まれた技法が、面と向かった直接の < 口頭 > フィードバックに代えて文書でフィードバックする技法です。つまり、フィードバックの内容をフィードバック表に書き出すことによって、フィードバック内容を客観化し、匿名化して、口頭フィードバックが持つ衝撃をやわらげるのです。この技法は、 < インスツルメンテッド・ラボ研修 ( Instrumented Lab. Training /用具を使ったラボ研修) > などと呼ばれています。

ところで、フィードバック表を多数の人たちに一斉に記入してもらい、その結果を集めて集計したとすれば、いわゆる < 世論調査 > に似たものになります。こうした世論調査や意見調査のための調査票も一種のフィードバック表ですが、このようなフィードバック表を使った調査を組織集団(会社、事業所、など)を対象に行い、集められたデータをその対象組織集団にフィードバックして、対象集団/組織の組織革新を目的に処理する技法を < サーベィ・フィードバック > と呼びます。このサーベィ・フィードバックも、いうまでもなく立派な組織開発(職場開発)技法です。

ちなみに、この方式では、フィードバックされた調査結果を、組織のそれぞれのレベルへ段階的に順次フィードバックしてゆき、各レベルで採りうる処置を検討させた後、それぞれのレベルで担当すべき必要対策を立案・実施しながら、組織のトップから下部組織へ、滝が流れ落ちるように降ろして行く技法を < キャスケーディング(滝) > 方式と呼びます。このキャスケーディング方式によるサーベィ・フィードバック技法は、今日、最も広く使われる組織開発技法ですが、こうした方式が使われるのもフィードバック表という用具に強力な効果があるからに他なりません。

 
フィードバック表の効用

フィードバック表の使用を通じて学習動機を高め、学習の方向を定めることができる、と述べました。しかし、フィードバック表の効用はそれに止まるものではありません。それ以外にも、多くの効用があります。たとえば、次のようなものがあります。
  • フィードバック表を使用することにより < 誤った思い込み > の打破が容易になる。
  • フィードバック表使用で、参加者の < 他人の考えや意向に対する感受性 > が高まる。
  • 集合研修会議などで参加者相互にフィードバックし合った場合、受け手自身がフィードバック交換に参加しているので、フィードバック受け入れの心理的準備度が高くなる。つまり、フィードバック表が適切に使われると、当該研修プログラムの説得力と効果が強化されやすい(インスツルメンテッド・ラボ研修)。
  • フィードバック表の使用を通じて、気持ちや考えを率直に表現する傾向を強めることができるので、フィードバック表を使った研修を幅広く長期的に実施することによって、組織内に他人を信頼し、自分を率直に表現する気風を醸成するなど、組織開発へ結びつけることができる。
  • フィードバック表を使うことは、学習材料を参加者自身に提供させることになるので、インストラクターの側の学習材料作成の労が省けるばかりでなく、研修内容を参加者のニーズに合わせやすくなり、しかも、研修内容の説得力を高めることができる。
  • フィードバック表の活用は、具体的体験的学習に反応しやすい成人 /大人の学習に有利に働く。
  • フィードバック表に記入させることを通じ、職場の周囲の人たちを研修プログラムに間接的に参加させ、研修内容への関心を高めて、研修成果の職場適用促進を図ることができる。
  • フィードバック表に自ら記入した参加者たちも、自分たちが関与したフィードバック調査から < どのような結果が出るか > に関心と期待感を持つので、参加者の没入度が高くなるだけ  でなく、学習成果の参加者本人による職場適用の可能性が高まる。
  • 研修プログラム参加者に、 < 同じ > フィードバック表を使用させることによって、参加者間の研修内容への関心を高め、かつ関心の共通化を図ることができる。
  • インスツルメンテッド・ラボ研修では、フィードバックが文書を通じて得られるので、インストラクターに、センシティビティ・ トレーニング( S T)やラボ・トレーニングの場合ほどの専門性は必要とされない。したがって、わずかの手ほどきや指導で、比較的経験の浅いトレーナーやインストラクターでも、インスツルメンテッド・ラボ研修をこなすことができる。
などなど、多くの利点と副産物がフィードバック表の使用から期待することができます。

 
フィードバック表の限界

すでに述べたように、フィードバック表は、 < 思考を促進するもの > ではあっても、 < 思考を代行するもの > ではありません。したがって、これの使用は、自立的(自律的)に思考する習慣と能力のある人を対象としなければなりません。そうでないと、フィードバックの結果に振り回されてしまう恐れがあるからです。もし、そのような恐れが感じられたら、フィードバックに先立って、フィードバックというものの性質や機能について十分な説明をしておく必要があるでしょう。 なお、一般的にいって、使用対象となるフィードバック表の仕組みを説明することが、フィードバック結果に対する誤解(たとえば、フィードバックを天の声と受けとめる傾向)の打破に有効です。

また、これも自明のことながら、フィードバック表を使うことによって、 < 認識を整理できても、新しい認識や考えを創造すること > はできません。したがって、集合研修プログラムなどで新しい知識や情報を与えようとする場合、フィードバック表だけに頼って研修を進めることは危険です。いい換えれば、フィードバック表で、学習動機や学習方向に点火はできても、フィードバック表は学習持続の燃料にはならないのです。

その他のフィードバック表の限界と弱点をあげれば、次のようなものが考えられます。
  • 信頼性の高い既成フィードバック表が入手しにくい。 ここで繰り返し強調すれば、フィードバック表は < 鏡 > の役割を果たすものであり、 < 解答 > や < 天の声 > を得るためのものではありません。したがって、 < 解答 > や < 天の声 > に類する < 既製の答え > がでてくるフィードバック表には注意が必要だといえます。
  • 記入者に、フィードバック表記入に心理的な抵抗がある場合がある。 ちなみに、このような場合、記入の匿名性やフィードバック表の仕組説明が心理的抵抗を和らげることが多いといわれます。また、業績評価など、監査的手続や制度との無縁性や人事部など監査機関介入の排除を明確にしておくことも有効です。要は、フィードバック表が純粋に研修目的に使われていることを示すことが重要です。
  • 記入そのものがズサンに行われる恐れがある。 記入者が、フィードバック表記入に無関心な場合、フィードバック結果の被フィードバック者に対する意味の重大さを、記入に先立ってよく説明しておくことが大切ですが、それ以上に大切なことは使用するフィードバック表の選定です。記入者に不必要に大きな負担をかける恐れのある(たとえば、極めて数の多い質問項目、等々)は、 やむを得ない場合を除いて、避けた方が無難といえます。
  • フィードバック表で収集した結果の集計に時間がかかる。 うまく手配しておかないと、研修時間が不必要に長くなることがあります。ちなみに、フィードバック表の種類によっては、結果の集計にコンピュータの必要なものがあり、そうした機器の必要がなくとも、当のフィードバック表についてのある程度の基礎知識がなければ集計しにくいものもあります。
 
フィードバック表使用上のポイント

フィードバックは、認知的不協和を生みだすものと述べました。こうして生まれた認知的不協和を、手当てもしないで、そのまま放っておかれたのでは、フィードバックを受けた方がたまりません。認知的不協和がもたらす心理的不安定は、できるだけ早く処理されるべきです。そこで、
  • フィードバックは研修プログラムの早い段階で行うこと。 当該研修プログラム中にフィードバックの結果生みだされた心理的不安に対処するための < 時間 > と < 方法(知識、技能、など) > をフィードバックを受ける人たち(参加者)にできるだけ早い機会に与えることが重要です。たとえば、研修プログラム中にフィードバックを行う場合、プログラムの早い段階でこれを行うとともに、研修プログラム中にフィードバック結果に対処するための知識/情報、技能など、を盛り込むなどの工夫をしておくと良いでしょう。 この措置は、研修内容を、研修プログラム参加者のニーズに合わせることを容易にするばかりでなく、プログラム内容に対する学習意欲を高めることにも役立ちます。
  • 認知的不協和から生みだされた心理的不安は、できるかぎり当人自身に対処させること。 横からの頼まれもしない助言や助力は、せっかくのフィードバックの効果を減殺するので注意が必要です。この場合、インストラクターが < ファシリテータ/プロセス・コンサルタント > の役割に徹していることが望ましいことは、言うまでもありません。
  • 仕組みのよく理解できないフィードバック表は、使用しないこと。
「状況対応リーダーシップ®(S.L.)診断表ガイドブック」より抜粋